とある休日の探鳥記~高梁川と小田川の合流地点へと散策に~夏①水害の歴史を見る。

とある休日の探鳥記~

こんにちは。

今回は

 

『とある休日の探鳥記~高梁川と小田川の合流地点へと散策に~夏①水害の歴史を見る。』

 

ということで

 

タイトルにあります通り

個人的にずっと気になってはいたものの

なかなか時間を作って歩くことができなかったので

 

真夏も真夏に環境調査と称して歩いてまいりました様子を

国土交通省が提示してくれている資料を基に

 

今回自身が勉強したものを綴っていきたいと思います。

 

もしかしたら人によってはセンシティブな内容となっていますので

ご興味のある方のみ。

  

本日も最後までご購読よろしくお願いします(*^-^*)

 

※一部の画像はタップすると拡大できます。

 

 

なんで小田川を歩きたかったのか❓

 

ということで

 

岡山県内に住んでいる方は知っている方が大半だと思いますが

 

2018年に西日本豪雨の影響によって国の工事が入り

 

2023年に小田川の堤防の付け替え工事を終えたという流れの場所でございます。

 

 

あまり深く僕自身、このブログでは少ししか語ってきませんでしたが

 

ぼく自身も2018年の西日本豪雨ので被災し

家が全壊となりそれこそ家族全員の人生観が変わるような様々な経験をしました。

 

 

マイホームが・・・

 

 

そういったこともあって

 

今回の小田川付け替え工事などは個人的にはずっと興味があって色々と追ってきました。

 

 

 

 

ただ興味はあってもなかなかに距離もありますし

それこそその時間をひねり出さんとだと思って行動するのにちょっと時間がかかりました。

 

なので今回はこれを機会に

僕の知っているというか小田川の流れやらその歴史を綴っていきたいと思います。

 

 

 

小田川と水害の歴史①

 

そもそも小田川の源流地点は

 

広島県神石郡神石高原町光信地区周辺にあります。

 

2018年までの小田川の流れは

 

そこから福山方面から井原方面へと抜けて矢掛、真備と通り

 

倉敷市真備町、川辺周辺で新見市花見山周辺から流れる高梁川へと合流する。

 

こんな感じの流れでした。

 

 

2023年に小田川の付け替え工事をした際は

その合流地点を約3キロほど下流の方に付け替え

柳井原貯水池を貫通し

高梁川に合流する形へとなりました。

 

 

 

そのことにより

今はホントに川の流れが改善されていますが

 

それまでは

大雨が降った後はたびたび水害が真備町にはありましたし

小田川の水位がすぐに橋のすぐ真下迄来たりとしょっちゅうでした。

 

2020年撮影の小田川。

 

そもそもこの小田川はもともと暴れ川と呼ばれており

その原因となる事象が

 

約400年前の備後福山藩の初代藩主が福山城を建てる際に

福山市外の方を流れる小田川の氾濫を恐れ

 

福山市外へと流れるはずだった流れを堰き止めて

岡山県井原市の方へと流れを変えたというのが諸説あります

 

 

皆さんは見たことがありますでしょうか❓

 

ぼくは一度だけ見に行ったことがあるのですが

 

井原市にある天神峡のさらに上流の方に井原市芳井町の方だったかと思うのですが

  

そこの岩山から流れ出る小田川は

下流の真備町とはレベルが違うほどの水圧と水量です。

 

 

そもそも不思議に思いませんか❓

 

 

 

岡山県の地形は

 

県北の中国山地から県南の市街地に行くにつれて標高が下がっていく地形なので

本来なら川って上流から下流に流れるということは

普通は北から南へと流れるのに

 

小田川だけは福山方面あたりから急に東方面へと流れだすんですよ( ゚Д゚)

 

 

そのことからも

 

川の勾配が普通の河川よりも緩く流れが悪く

雨の降るたびに氾濫を起こすんです。

 

そういう河川事情があるので

 

雨の多い時季は当然、高梁川の水量も多くなり

合流地点で小田川と高梁川が合流しても

勾配の緩い小田川は高梁川の水量に負けてしまい

水捌けも悪くなり、溢れやすくなってしまう感じです。

 

 

 

 

小田川の水害の歴史②

 

 

2018年7月5日から本州に停滞し降り続けた雨は

6日から7日にかけて完全に容量オーバーをしてしまい

高梁川にも水が抜けずに川の水が押し戻される

いわゆるバックウォーター現象が起き

その水圧に耐え切れずに真備町中の堤防がほぼ決壊し

町全体が水害に遭うという全国を見ても被害の大きさが尋常でない事態になってしまったという感じです。

 

慰霊碑

 

明治26年にも真備町は高梁川が決壊して大規模な洪水が起きたそうで

 

それを機に43年から大正14年まで高梁川を一本化する工事を行いました。

 

 

 

調べてみるともともとは

西高梁川と東高梁川の2つの流路にわかれていたそうで

それを東高梁川を締め切って西高梁川に一本化したそうです。

 

記憶が定かではないのですが

美観地区などを流れている川などはもともとは東高梁川が関係していたとかどうとか

ひぃじいちゃんに聞いたことがあるのですがちょっと記憶が曖昧なのでそこは余談でお願いします。

 

 

 

今現在2024年。

倉敷の方へと流れているのは昔でいう西高梁川の流路であり

一部、西側の流路を締め切って渇水対策で柳井原貯水池を設置したとのことです。

 

 

このことにより倉敷市の水害は明らかに減り

 

東高梁川と西高梁川の分岐点だった場所は

探鳥地でもある

酒津公園になり桶門が設置されることとなります。

 

 

 

確かに倉敷市市街の水害は減りましたが

 

大改修によって二つの河川の流路があった小田川の合流地点は一つとなってしまい

 

そのことからさらに河川の流路が狭くなり

高梁川に水が抜けにくくなり

たびたび真備町は水害の被害に見舞われることとなったのです。

 

これって治水行政が絡んでいるものと思われ

 

市街地の人口と被害額。

田舎の人口と被害額。

 

水害に遭った際に

果たしてどちらが被害が多くなると予想しますか❓

 

県としたらどっちを改善しますか❓

 

本音では言えませんが

 

こんな感じなんですよね。

 

  

 

 

小田川と水害の歴史③

 

明らかに問題のある小田川の合流地点。

 

そのことから真備町から反感の声が上がり

1968年の柳井原貯水池約4.6キロほど下流に付け替えてダムを建設する話が持ち上がったのです。

 

けれどもそれって巨額の投資をして

西高梁川と東高梁川を一本化したのに

また以前と同じ形に戻すのか

 

という意見と

 

柳井原貯水池を下流4.6キロの方へと移すとなると

場所が倉敷市船穂町の位置へと移動することとなり

そのことに対して船穂町はメリットがないということから猛反対でした。

 

 

 

 

なぜなら

 

治水の恩恵は真備町。

利水の恩恵は倉敷市。

 

船穂町は特に何もなし。

 

ちなみに

 

治水』は堤防やダムを築き洪水を防いだり川の水を利用しやすくすること。

 

『利水』は川の水を上手に利用すること。

 

 

 

 

船穂町が反対した理由の一つに

高梁川の大改修で柳井原周辺の集落が池の底に沈んだことからも

ずっと猛反対をしたために

交渉は決裂。

 

小田川はそれからも反乱を続け、真備町は洪水の被害を被るものの

ずっとそのまま問題は放置され続け

 

半世紀たった2010年にようやく船穂町も計画に合意し

2024年の今の形になるのです。

 

おそらく

真備町はベッドタウンとして発展していったことから

宅地開発が進んできて

人口が増えて栄えてきたことが大きな要因だったのではないかと思います。

 

 

 

 

2010年に計画がスタートしたものの

 

環境調査やその他モロモロに8年。

 

ようやく2018年の秋頃に工事がスタートするというその年の7月に

西日本豪雨が起こってしまうという感じでした。

 

 

 

解体は僕がやってます。

ここら辺はねぇ・・・工事関係者の方や

そのことに詳しい方から嫌というほど当時のことを聞かされました。

 

ここには書けない事もいっぱい沢山教えていただけました。

 

 

なので今回の豪雨災害の被害に遭った中でも

 

今回の件は人災だ。

 

という方も少なくありませんでした。

 

 

今現在~

 

今現在の真備町の感じとしては

 

あれだけ泥や瓦礫で溢れかえっていた町も

 

すっかり復興している感じではありますが

 

良くも悪くも

 

昔と同じ感覚で生活している方はいないのではないかと思います。

 

それに今でもまだ続いている方は続いていますし

 

僕自身も

 

そこにばかり囚われている訳ではありませんが

少なからず色々と思います。

 

 

 

ただ。

僕自身は、人生の転機というか目覚めと言いますか

物凄く、その経験を通して

物の見方や考え方などの視点の開花。

僕としては今があるから経験を良かったと言えるものに替えられたという感じです。

 

ホントに色々ありましたからね(;´∀`)

 

 

 

 

被災した町でまた暮らす。

 

これはなかなか。

 

きれいごとだけでは難しいですからね。

 

経験した人でしかわからないことが多いかと思います。

 

 

それに西日本豪雨で被害に遭ったのは真備町だけでなく

報道こそされなかったものの

高梁、新見、矢掛、井原、倉敷市、岡山市内などと

県内各所で起こっていました。

 

 

もぅ、二度とこのようなことがないことを願いつつも

 

決してその時のことを風化させず、

だからと言ってそれにばかりにも囚われず

 

という感じのバランス感覚を持って

 

その覚悟と気持ちと一緒に生きていこうと考えております。

 

 

おわりに

 

いかがでしたでしょうか(*´▽`*)❓

今回は自身の経験したことと調べたことを中心に綴っていきました。

次回は実際に歩いてきて

どんな環境だったかを綴っていきたいと思いますので

またお付き合いください。

 

本日も最後までご購読ありがとうございました(^^)/

 

 

 

 

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