こんにちは。
今回のお話は
『生き物森羅万象~自閉症画家、石村嘉成さんの個展へいってきましたの話~』
ということで進めていこうと思いますのでよろしくお願いします(*^_^*)
先日、
香川県にある中津万象園丸亀美術館で7月から9月11日(日)まで開催されている
作家の石村嘉成さんの個展へと2022年の盆休みを利用して家族4人で行ってまいりました。
2020年にテレビ放送のドキュメンタリー番組にて
石村嘉成さんの存在を知ったのですが
この方が描く作品の個性と言いますか、パワーと言いますか・・・
とても言葉では言い表せないほどのエネルギーが
テレビのモニター越しにも伝わってくるので
夫婦二人でいつかいってみたいなぁ~と話をしていたのです。
僕自身も県内から出ることはほぼほぼ無いですし、
家族全員普段は遠出をせずに家で過ごすのが大好きなので、
僕たち家族からしたら、香川県に遊びにいくことは大きなことなのです。
そんなとある休日の日記なのですが
色々と書き綴っていますので
かなりの長文になっております。
僕としても
できれば沢山の方々に目を通していただけたらと思い、この記事を執筆しました。
是非とも最後までお付き合いいただければと思いますのでよろしくお願いします(*^_^*)
作家 石村嘉成さんとは~
石村嘉成さんは
2歳のころに自閉症と診断され、
そこから家族3人で試行錯誤しながら療育を経て・・・沢山の方々と共に成長を遂げて、いまの石村さん一家がある。
と言う風にテレビでもそうですが
著書を読ませていただき、そして実際に展覧会に行き、
親子のやりとりに触れさせてもらった際に物凄く感じました。
僕自身が彼ら家族を語ることなど到底できませんので
詳しくは石村嘉成さんのお父さん、石村和徳さんの著書『自閉症画家が世界に羽ばたくまで』をご覧いただければと思います。
子育て世代の方や、石村さんの作品のルーツを知りたい方、同じ自閉症のお子さんをお持ちの方など
様々な方に通じるものもありますし
より一層、さまざまなものの見方や考え方、
そして石村さん一家の活動など
理解が深まるかと思いますので是非ともご購読をおススメします。
石村さんの作品を撮影しました~
今回の石村さんの個展の展示内はすべて写真撮影が許されていて、SNSでの発信を促しておりますので
それらを少しだけご紹介したいと思います。
この上の画の真ん中にいるサンタロウ君というキリンは
僕が住んでいる岡山県の動物園にいて、やっぱり印象に残っています。
子どもが小さいころにいったっきりでしたが、この絵画を実際に見に行った翌日に
僕一人でいきました(笑)
家族を誘ったのですが、さすがに体力的に連日は無理だということと、その翌日以降は岡山では珍しく連日雨が降るので
カメラと三脚を持って、大人ひとりでいきました。
その際のお話はまた後日投稿しますのでご興味のある方はよろしくお願いします。
すみません💦
写真では全然伝えることができないかもしれません💦
ですから実際に会場へ見に行った方が何百倍もパワーを感じるかと思います。
是非ともお近くの方などは足を運んでみてください。
石村嘉成さんの個展に行って妻が感じたのは
働いているスタッフの方や訪れている人の層、
石村嘉成さんとそのお父さんの和徳さんの雰囲気など、
会場全体の雰囲気がとても居心地がよくて
1日中いれる素敵な場所だと感じたそうです。
僕自身はただ、ただその雰囲気に圧倒されていました。
僕が一番会場で感じたのは
やはりお父さん。
石村嘉成さんとお父さんの和徳さんのやりとりや、声掛け。
僕たちお客さんに対しての配慮や、気遣い。
それまでの道のりや様々なことを想像すると、とてもとても。
人間同士を比べるものではないのですが、生き物としての格や厚みが全然違うと勝手に畏れ多くなってました。
お父さんあってこその、嘉成さん。
嘉成さんあってこそのお父さん。
そして今は亡きお母さんあってこその石村さん一家だと言う事、
そして実際に親子のやりとりに触れさせてもらった際に、それがいまもなおずっと続いているんだと言う事を物凄く感じました。
サインをもらう際に垣間見た親子のやりとり~
今回の個展の会場にて
本を2冊購入しました。
しかもその特典として、石村さんのサインをしていただけるとのことでした。
お客さんが僕ら以外にはもう落ち着いていなかったので
できるなら是非ともサインをしてもらいたいなぁ~🤔💦
と思ってはいたのですが
沢山の人混みや、サインの対応などで忙しかったろうし、疲れているかもしれないと思って
ちょっとこぅ・・・遠めな感じにいようとしたら、お父さんの方から
『良かったらサインをしますのでどうぞ!!』
と声をかけていただいてもらえました。
購入した著書にサインをしていただくにあたり、
あて名を入れてくださるとのことなので
是非ともと思い入れてもらいました。
僕の下の名前が 『瞬』というのですが
嘉成さんが『瞬。。。しゅん・・・・またたくだ!?』
と言って書いてくださったのですが
その横でお父さんが
『そうじゃ。そうじゃ。落ち着いて書こうな。いいなぁ?』
と言って嘉成さんの胸に手を当てたり、腕に手を添えて静止したりと
その一瞬でも様々なやりとりや空気感を感じましたし、
今この場で『瞬』という文字のサインを書いてくださるまでの石村さん一家の成長と道のりを想うと
本当にすごいなと胸がいっぱいになりました。
和徳さんから見た社会へのメッセージ
これは著書を購入した際に実際に頂いた両面印刷のA4のプリントになるのですが
和徳さんの思いが書いてありますので以下に綴っていきます。
発達障碍児の将来の幸せ
本来、子どもの発達や成長というものは、一様なものではありません。
定型的と考えられている発達が絶対の基準と言うわけではありません。それは、世の中で定型発達の人が多数を占めているだけだと思います。
社会はこの多数派の人たちに生きやすくできています。
平均的ないわゆる定型発達が、本来期待されている健常な発達であり、少数派であるがゆえ、そうでない発達の仕方は発達に問題が生じた『障がい』であるとされていると思います。
しかしそれは、発達のタイプが違うだけです。それは血液型と同じであり、少数派のAB型を『異常』や『障がい』として扱ったら大変なことになります。
ところが発達に関する限りそういった事が起きかねません。しかも、発達の少数派のタイプにはさまざまなふりを強いられるため、不適応を起こしやすい。それで問題が生じると、やはり発達に問題があるからであり、やはり『発達障がい』ということにされてしまいます。
もともとは発達のタイプ、つまり特性が違うだけであり、それをその人の不利な物差しで測られることから悲劇が始まります。
そもそもタイプが異なるものを同じ物差しで比較して、『遅れ』や『異常』として判断することは合理的でしょうか?
近年増加が目立つのは、障害の程度が比較的軽い『軽度発達障がい』といわれるタイプです。
しかし、定型発達をしてこれなかったためやはり『非定型発達』ということになるでしょう。
しかし非定型発達のこどもは、しばしば信じられないような能力を発揮します。
敏感で繊細な神経は、音の聞こえ方も違いますからパニックを起こしやすかったり不安が強かったりする原因にもなりますが、例えば音楽が好きな子だったら、極めて微妙な音の調べの違いを聞き分け表現したりすることを可能にもします。
また、臭いの違いもかぎわけてそれを仕事につなげられる例もあります。
その子の幸せや生きがいということを基準に考えれば、非定型発達の子には、ある特殊分野に対しては特別な関心や楽しみを持つことができる能力が備わっていると思う。
そうした楽しみや歓びを持つことが、その子にとっては自分に合わない仕事に就けて、仮にたくさんのお金を稼ぐことより幸せなことではないでしょうか。
非定型発達の子どもは、その子ならではの輝き方をもっています。
それは平均的な『当たり前』の輝き方とは違うかもしれませんが、彼らはまったく気にしません。
定型発達の子どもは常に多数派に属することができるし、社会の仕組みも多数派の人を基準に作られているので何かと有利で生きるのも楽です。
『非定型発達』のデメリットばかりに着目し定型的な多数派の子どもたちにできることを基準としてみれば『欠陥』や『障がい』ということになるかもしれませんが、
他方で彼らの持っている優れた面に目を向けると、『障がい』どころか、『才能』にもなります。
それを見つけ出して生かして自身を持って生きられるか、それとも不利な点ばかりに囚われて自己否定に陥ってしまうかがその子の運命の分かれ目になると思います。
本来『発達障がい』という言い方を用いた時点で不利に陥る罠にはまってしまうのではないでしょうか。
そもそも定型発達も非定型発達も一定割合ずつ存在します。どちらが秀れているか、どちらが正常かという問題ではなく、異なるタイプなのです。どれもその子の特性です。
それぞれタイプの異なる発達の仕方があり、異なる情報処理の方法を持ち、社会性や情緒、認知、行動面でも異なる特性を示します。どれもそれぞれの輝きを持った『個性』なのです。
彼らにも社会にもメリットがあるから長い人類の進化の時を経て生き残ったのです。世界の偉人たちに発達障がいの人が多いと言われていることがそれを証明しています。
文明の発展にも彼らの突出した能力が必要だったのです。
必要なのは、それぞれのタイプの特性を理解してそれが生かされるように働きかけるにはどうしたらいいかを知ることです。
それは『非定型発達』を『障がい』にしてしまうか『才能』にするかを分けることにもなり、何よりもその子が少しでも幸福な人生を歩むことを容易にしてくれます。
そもそも『発達障がい』という呼び方が、彼らを生きにくくしていると思います。
また、それが偏見や差別につながっているとも思えてなりません。
そこで提案したいのが、『特性発達』という呼び方です。
様々な特性を持って成長してきた、或るいは成長していくという意味です。もちろん、その特性の中には、生きにくくネガティブな特性もありますが、その一方では多くの人が持たない突出した特性を持っている場合もあるということです。
東京の表参道で個展を開催したときに、あるお客様が
『人類がこの人たち(発達障がいといわれている)に、障がいという名前を付けたことを後悔する日がきっときます。』
と言われていました。
今後、長い年月をかけて人類はさらに進化していくと思います。
その時々に人類は彼らの能力を必要とするはずです。
その多様性を認め合う社会になってほしいと願ってやみません。
みなさんの周りにもタイプの違う人はいませんか?
石村和徳
とのことです。
この文章の中で出てくる『発達障がい』を言い換える言葉の『特性発達』
物凄く合っていると感じます。
やっぱり自分としては
今回の個展を通して見えてきたものは
自分はこのお父さんの信念と言いますか、芯の部分を見た。
という感じでした。
本当に勉強になり、素敵な時間を過ごさせていただきました。
おわりに
かなりの長文になりましたがここまで読み進めていただき本当にありがとうございます。
僕としては本当に今後の人生にも影響されるような経験や体験をさせていただき、
ものすごく刺激を頂けました。
絵画を通して誰かの心に伝える。というもの。
おそらく世界中には絵画だけでなく、著書だったり、歌だったり、彫刻だったり、写真だったり、ダンスだったりと様々な表現で人に伝える力があるんだと思います。
それらすべてを本当に素敵だなと感じます。
アートとはホント無縁で生きてきたような人間なのですが
ぼくもいつかは個展を開いてみたいなぁ~
なんて夢物語をおもいました。
今後もずっと石村さんたちの活動を陰ながら学ばせて頂こうとおもいます。
最後までご購読ありがとうございました(^^)/
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